4. 写真産業技術史室


① 写真産業の大きな流れについて(新経営研究会編)


 「イノベーション 日本の軌跡」11巻(2014)新経営研究会編

「富士フイルムにおける銀塩カラーフィルム開発小史」の第一部として「フィルム開発の歴史と大衆化への取り組み」を執筆した。写真産業の大きな流れを、①写真師の新職業創成、②コダックの大衆化路線、③ポラロイドの迅速可視化路線、④両路線の結合としてのデジタル写真と捉え、「なぜ写真が日本の産業として定着したのか」、その中での「富士フイルムの取り組み」を記述した。

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千葉大学画像関連講義資料
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② 乳剤時代の幕開けと感光材料の工業化


乳剤時代の幕開けと感光材料の工業化

 欧州で興った写真術は、アメリカでフィルム産業として発展し、現在日本でデジタル産業として定着している。本技術史では、写真産業の流れを導いたコンセプトとその技術革新のレビューを行う。その第一弾として、1870年のイギリスにおける乳剤時代の幕開けに焦点を当てる。携帯可能な乳剤の提案に基づく乾燥乳剤ペリクルの開発中に見出された高感度技術オストワルド熟成によって新しい写真乾板産業が興った。 


③ 乳剤高感度化技術と写真・映像の大衆化


 乳剤の高感度化技術と写真・映像の大衆化

湿式写真時代の1860年、万能の科学者で写真化学の大御所であったHerschel卿は世の中の出来事を動画で記録し子孫に残す「瞬間写真」の構想を提案した。瞬間写真に必要な技術は、1/10秒の「早打ち」を可能にする高感度化と1/2~1/3秒で感光材料を交換する技術であると述べた。当時は夢物語であったが、1871年Maddoxが発表したゼラチン乳剤と1889年Eastmanが発表した写真フィルムを起点に具現化されていった。そして彼の構想は、レンズ付フィルム「写ルンです」に象徴される写真の大衆化と、映像の大衆化である映画産業の創成に繋がった。デジタル写真の今日、一台のカメラに静止画と動画の撮影機能が収められ両者の一体化が着実に進んでいる。



④ 写真のその場可視化と画像コミュニケーション


 写真のその場可視化と画像コミュニケーション

「写真のその場可視化」はポラロイド社の第二の創業の課題であった。その課題は1972年発売されたモノシートカラー写真SX-70によって、カメラのサイズを除き完成の域に近づいた。しかし創設者Landの引退に伴い、ポラロイド社の方針は大衆化のための廉価版路線に変更され、インスタント写真の輝きは褪めていった。その競合だった一般写真は、小型の全自動カメラ・高感度カラーフィルム・ミニラボ短時間仕上げによって、その魅力を増していった。一方、電子カメラは1981年のマビカ発表以来足踏みを続けていたが、1995年発売されたカシオQV-10が民生品としての普及の先駆けとなった。そしてLandの描いた夢は液晶ディスプレー付のデジタルカメラで実現されていく。



⑤ 動画産業の創成とそのデジタル化


動画記録への挑戦は、1860年のHerschel提案から始まった。そして50年後、セルロイド支持体の映画用ロールフィルムは、Eastman Kodak社を支える事業に成長した。安全な不燃性フィルムによる小型映画は、家庭用は8mm、放送業務用は16mmフィルムとして世の中に浸透した。動画記録の電子化は、1970年代に撮像管カメラとビデオテープを連結するニュース取材から始まり、1980年代に家庭用の一体型カムコーダーで固体撮像素子に移行した。劇場映画のデジタル化は配信・上映で遅れ、Herschel提案から150年後の2010年代前半に移行した。

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動画産業の創成とそのデジタル化
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⑥ X線画像診断法の確立とそのデジタル化


 

現在の医療はPACSによる画像診断に支えられているが、その端緒はX線の発見にある。しかし、X線画像診断法として確立させるには、人体によるX線散乱除去など必要な画像品質に到達させる必要があった。次の課題は、被爆線量低減のための高感度化、診断の即時化のための迅速処理および診断能向上のための高画質化であったが、蛍光増感紙とX線フィルムの改良によって解決された。画像診断のデジタル化は、これら課題の延長線上にあり、CRおよびDRと呼ばれるフラットパネルによる画像取得とドライイメージャーおよびディスプレーによる画像表示により着実に進んでいる。 

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解説「技術革新史Ⅴ X線画像診断」
★解説「写真産業技術史Ⅴ」(改訂版).pdf
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⑦ 印刷用写真製版法の確立とそのデジタル化